アプリでトルコ語を始めてみた

DUOLINGOでトルコ語を学び始め、トルコ語検定にチャレンジしました。ひたすら、毎日のこつこつ勉強の記録するだけです。くれぐれもこのブログからトルコ語を学ばないように(笑)

余談「トルコ航空」のCMから得られる高揚感と嫌悪感

Merhaba! Nasılsınız?

こんにちは! DUOLINGOトルコ語「未来形編」継続中。

過去形よりはマシですが、それでも進みはゆっくりです。今、プレイ時間が十分に取れないので、なかなかストレスです。

というわけで、余談。

今、言語学習アプリDUOLINGOでトルコ語をやっているわけですが、無料版を使っています。そのため、ことあるごとに広告が挟み込まれます。うっとうしいという気持ちもありますが、テレビのCMタイムのように、トイレ休憩だったり、別の用事に切り替えるきっかけだったりするので、ある意味重宝しています。しかも、これがDUOLINGOアプリ会社の利益にもなっているなら、なおのこと。

で、私がトルコ語をやっているせいか、最近「トルコ航空」の広告がやたらと入ります。

f:id:ankenko:20200228123736p:image

トルコの風景が映し出されて、とてもきれい🥰 モチベーションアップにも役立っています。

ただ、この広告を見て思うことがあるんです。広告の内容はこんな感じ。

2人の女の子がレストランでおしゃべりしています。うち1人が最近トルコに行ってきた模様。

「それで、トルコはどうだった?」

おもむろにスマホを取り出す旅行帰りの女の子。トルコを満喫してきたぞ〜という映像をたっぷり披露します。

「で、トルコは〜……」

「すごーい」

「でしょう」

https://youtu.be/nDek-0yMvkI

(このCMのyoutube動画がありました)

なんちゅーか、映像はいいんですよ、映像は。めちゃめちゃきれいで、気持ちを掻き立ててくれる。そして、それこそが狙いでしょう。映像は、言葉よりも美しさ、ワクワク感を直接的に伝えますから。

DUOLINGOをやっていてもう一つよく見かける広告でも、イケメンボーイが「21世紀は映像の時代」と呼びかけています。(こちらは何の広告だったか覚えていませんが)

しかし、このトルコ航空のCMは、私には同時に嫌悪感を起こさせます。いや、CMがというか、製作者の心意気が、かな。

理由は、言葉に対する軽視ですかね。映像は言葉以上にたっぷり色々伝えているのに、聞き手の女の子の感想が一言「すごい」って……

軽っ😩

これなら聞き手役の女の子にいっそ「すごい」を表情で演じてもらって、見てる私たちに「すごい」と言わせてくれた方がいいんじゃない?

YouTubeが大流行しているし、伝達手段として動画、映像がどんどん優位になっています。以前に映像作家さんと話をしたことがあるのですが、やはり「今は映像の時代」とおっしゃっていました。そして、彼曰く「本を読まなくなっていて知的レベルが心配されているけど、YouTubeなんかを見てると、情報系、勉強系の動画だって十分人気を集めていて、人はそんなに馬鹿になったわけではない」とのこと。

私も、概ねこの意見に賛成ですが、言葉の観点から考えると、そんなに狂喜乱舞する状況とまではいかない気がします。言葉には話し言葉と書き言葉があって、話し言葉は日常生活に不可欠な、誰でも使いこなせる(使いこなせなきゃならない)もの、これに対し、書き言葉は文明が生み出した最大の利器、本・読書は「考えを文字にする技術」と「それを読み解く技術」の総決算、こっぱずかしいのを承知で言っちゃうと、「書き言葉」は人類の文明の賜物です。読書が苦手という人が多くいますが、それは読書がなかなか大変な作業だから。

動画はというと、基本「話し言葉」。人は話し言葉の方が楽に理解できるものです(あるいは、理解したような気持ちになれる、というのが正解かもしれない)。それで悦に入って、これからは本より映像、動画となると、これまで読書を敬遠していた人たちの知的レベルの底上げはできるかもしれませんが、書き言葉を疎かにすることで、そもそもの人類の言語能力の目減りが起こるんじゃないかという気持ちが拭えません。映像が書物を超えたと考えるのは早計で、動画・映像で得た知識から、さらに読書へ向かう行動につながれば、それこそ狂喜乱舞したいかな〜😌

しかし、日本の学校教育は、国語を相当軽視していますからね。先はそんなに明るくないですね😞

あやや、長くなってしまった。トルコ語頑張ります!

Hoşça kal!