アプリでトルコ語を始めてみた

DUOLINGOでトルコ語を学び始め、トルコ語検定にチャレンジしました。ひたすら、毎日のこつこつ勉強の記録するだけです。くれぐれもこのブログからトルコ語を学ばないように(笑)

DUOLINGOから現代教育に思いを馳せる

Merhaba! Nasılsınız?

こんにちは! 今日はこんな例文のご紹介。

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Onlar dil eğitimi hakkında ilginç bir çalışma yapıyor.

「あの人たち、言語教育についての面白い研究してますね」

おおっ、DUOLINGOの自画自賛例文❣️

いやいや、十分真実です🥰

改めて、DUOLINGOとはどういうアプリか探ってみました。

DUOLINGOは世界で最も人気があり、最もダウンロードされている言語学習プラットフォームで、3億人のユーザーがいます。我が社が目指すのは、無料で、楽しく、誰でもアクセス可能な教育を提供することです。(2018年8月10日更新分のDUOLINGOアプリ内のヘルプページより、拙訳)

ユーザー3億人😳 日本の人口以上の人数が世界中でこのアプリをダウンロードしているのですね。そして、「無料で、楽しく、誰でもアクセスできる教育」というのが素晴らしい。まさに教育はこうあるべきという鏡ですね。実社会でこの理想がどこまで実践されているのか。もちろん、現実困難な部分も多いかもしれませんが、せめてこれに近づく努力がどれだけなされているか。何より「楽しく」という、一番達成しやすそうな目標が、どこまで実践されているのか……。

学校教育が受験のための勉強をするところになって久しいと思うのですが、それって楽しい? いい会社に入って欲しいから頑張れという親はまだ存在しているのでしょうか? そんな親御さんは勉強を楽しいと思っていますか? お父さん、お母さん、勉強好きですか?

また、学校・教師側も同じです。先年起こった学内での教師間のいじめニュースを信じがたい気持ちで聞きました。ニュースを読む限り、そのいじめの内容もエグいものでした。そういう人たちは働いていて楽しいのでしょうか? 先生たちが楽しいと思わずに、子供たちに勉強が楽しいと教えることが本当にできるのか?

追い立てられるように勉強をさせられながらも、勉強を「何か新しいことを知ること」と捉えて、勉強そのものを楽しむことができる子供は幸せだと思います。逆に、子供が勉強を楽しいとも思わず、時間を嫌々やり過ごしていると感じる毎日を送っているなら、その責任は誰にあるのか? (学校が嫌々させているものを「勉強」とか「教育」とか呼ばないで欲しい……!)

DUOLINGOは、語学学習アプリなので、教育の全てを担っているわけではありません。それに言語学習に興味を持てない人にとっても、何の意味も持たない代物です。なので、「このアプリを全ての人に❣️」というゴリ押しをするつもりはありませんが、私はこのアプリでトルコ語の知識だけでなく、勉強の楽しさを引き出すのに見習うべき点を教えてもらっています。

本当に、勉強は楽しくなくっちゃ。教育は、勉強の楽しさを教えるものじゃなくっちゃ……! (注:「楽」は「楽」でも、「ラク」じゃないよ😉)

……なーんてね。いろいろ偉そうに書いちゃった。私の場合は、単に勉強を嫌いと思ったことがないのが幸いなだけかもしれません。学校はそれほど好きではなかったけど、勉強は楽しかった。おそらく先生に恵まれていたのもあるでしょう。(今でも嫌いな先生もいますが😠)  ただテストのための勉強というのはどうしてもできなかったので、苦手科目は成績が悪かったし、大学入試も一度失敗して浪人生活を送りましたが……😝 それでも、勉強は楽しくて、良いものだし、私はなんとか仕事をして、日々楽しく暮らしています。

DUOLINGOと出会い、さらに一層楽しさを加えていただきました。トルコ語が終わったら、次にやる言語をすでに決めています。その次も。DUOLINGOで学習できる言語の数を見たら、死ぬまで飽きることないわ〜😍❣️❣️

人生、こういう出会いって大事ですね。では。

Teşekkürler, Duolingo!

「ありがとう、DUOLINGO!」

(そして、これを教えてくれた友人にも感謝❣️)